変態的な物を企画して発明して作るブログ

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どうしても理解できない社畜文化のお話

 

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日本という国の中にも、星の数ほどの企業があり、
働いている人が違えば、企業文化も大きく異なると思います。

にも関わらず、社畜文化の存在に関しては
多くのサラリーマンが共感できるのではないでしょうか。

このブログは折角読者が少ないので、
今回はちょっと偏っているかもしれない視点からのお話をお届けします。

全く理解できない社畜文化

先日、うちの会社の社長が私の所属する支社に講演にやってきました。
まあ、社長と言っても雇われ社長ですし、株式会社ですから、
この会社は本当の意味では社長の物ではないです。

毒にも薬にもならない有難いお話があったかは別として、
質問の時間に、とある社員が手をあげて言いました。

「私は、法人営業マンとして、社長を大企業○○の社長と会わせるのが夢です」

さあ。彼がこの言葉を発した意味は何でしょうか。
社長に気に入られる為でしょうか?
じゃあ、社長に気に入られたらどうなるのでしょうか?
出世でしょうか? 給与アップでしょうか?
もし、彼の人生の夢が、本当に彼の口から語られた物だとしたら、
彼は大変立派な社畜です。おめでとうございます。

どちらにしろ彼は、何百人という社員が見守る中で、堂々と社畜宣言をした訳です。

幸い、弊社の社長は懸命でしたので、
その社員の言葉を礼讃するような真似はしませんでした。
社長がそれをした段階で、その場にいる出世を自己実現としている連中は、
より社畜である事を強要される訳ですからね。

会社と社員は対等であるべきか

欧米の働き方に関する書物なんかを紐解くと、
会社と社員は対等であるべき、という言葉を目にしますが、
資本主義である以上、本当の意味で対等になることはないと思っています。

ただ、ひとりのサラリーマンとして、
会社と対等であろうとする意識は重要だと感じています。

何を以って対等とするかは難しいところですが、
個人的な意見としては、

社員に支払われるインセンティブと業務命令や内容が釣り合わない場合に、
堂々とNOをつきつけて交渉ができる状態である事

は、最低限必要事項だと思います。

会社から辞めろと言われた時に、
売りことばで買いことばで実際に辞められる様な状態を
普段から作っておく事が、この国では重要な気がします。

終身雇用は揺らいでいますし、給料は上がらない。
つまり、企業は労働に対するインセンティブ
充分に支払えなくなっている現在、社畜である事は
リスク以外の何物でもないように思われます。

にも関わらず、社畜をやめられない人が沢山存在するのは、
それでも企業が社畜を重宝するからでしょう。

でも、これは前提としての、企業が一番欲しい従業員である
「給料のいらない従業員」という考え方に反しますね。
もし、金の為に社畜になるとしたら、それは、
実は会社の求める人材とは正反対の事をやっているのかもしれません。

もっとも、会社の業績が傾いた時は、その沈没船で
給料なしでも働くのでしょうが。

会社は、会社に業績をもたらす人よりも、
会社のために死ねる社員を重宝する企業がまだまだ多いのは
事実だと思われます。

死刑宣告できないのは、生殺しが都合がよいから

出世は社員に対する重要なインセンティブです。
そして、多くの会社は、一定の年齢になっても出世しない人間に対して、
出世の道を閉ざします。

そりゃあ、ある程度年をいってしまった人間に
ポストを用意するほどの余裕はないからです。
未来ある人間にポストを用意したい。

問題は、そのような「出世競争からすでに降りている」死刑宣告を、
会社側は社員に行わないという事です。
つまり、社員はまだ出世競争にいると思っているのに、
会社はとっくに降ろしている。

これは非常に不幸です。

出世欲があって頑張っているのであれば、
とっとと死刑宣告されて、別の会社へ行ったり、
仕事への力を抜いたり、起業したりする方が人生の無駄にならないからです。

でも、会社側は死刑宣告をしない。
なぜなら、してしまうと、辞められるリスクがあるからです。

これは道理です。ただし人の人生を弄ぶ道理かもしれません。

じゃあ、会社はどうあるべきか

個人的には、社会全体としてもっと人は流動するべきだと思っています。
つまり、今いる会社は自分の人生における自己実現の過程の1つにしか過ぎず、
その感覚を会社と社員が共有できる状況です。

会社は、自社の存続に関わる業績の次に、社員の人生を考えるべきです。


その会社が社員にとって自己実現にたどり着ける会社であれば、
そこで働き続ける努力をすればいいわけですし、
会社もつなぎとめる努力をすればいいわけです。

適していなければ、社員にとって転職や起業が適していれば、
それを応援できる環境である事が理想です。
会社側から見れば、転職を応援するのは会社の利益に反する為、
現状では背徳行為となりがちですが、
そもそもその社員に自己実現の場を与えられなかった責任を、
本来会社も負うべきです。

「おっさん化」しているのは50代や60代だけではない

先日のNewsPicksで、「おっさん化」の話が話題になっていましたが、
私の周りをみると、40代でも、もっというと30代のまだ中堅社員でも、
こういった社畜文化につかり、礼賛している人が沢山いる事に驚きます。

彼らが、それが実は間違っていたかもしれない事に気づくのは、
定年して家庭に居場所がなくなった時か、
死ぬ直前に、仕事以外のことをもっと大切にすべきだった、
と後悔する時でしょう。

他人が作った会社に、プライベートを蔑ろにして盲目的に人生を捧げること程、
愚かしいことはありません。
少なくとも、インセンティブが充分でないか、
自己実現ができないのであれば。

滅私奉公の共用は日本固有の集団意識か

そして、批判を恐れずに言えば、こういった社畜文化、
滅私奉公を良しとする文化の根源になっているのは、
学校教育で言えば部活動を始めとした体育会系の集団活動において、
いまだに個を殺すことが重んじられていたり、
精神論や根性論、根拠のない上下関係やルールを蒙昧的に
刷り込まれていることではないか、と思うことがあります。

これは、社畜文化の根強い組織には体育会系部活動出身者がやたら多い、
という私の経験に基づいた仮説なので根拠はありません。

ただ、これが事実だとしたら、
どうして企業が体育会系出身者を欲しがるかがよくわかりますよね。
つまり、効率よく社畜を雇えるからです。


自分の人生の価値、自己実現を何に求めるのかは人それぞれです。
だから、社畜の存在を否定するつもりはありません。
問題なのは、社畜を強要せざるを得ない現在の社会構造や意識です。
社畜であれば給料も名誉も貰えた時代はとっくに終わっています。


今回はここまでです。
それではまた、変態発明ブログでお会いしましょう。
バイバイ!

 

 

 

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