変態的な物を企画して発明して作るブログ

落ちこぼれサラリーマンが、変態的アイデアの物を企画したり発明したり作ったりするブログです

「人生を諦める」と人生は楽になるのか

 

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 今週の月曜日、どこぞのテレビ番組で「人生は諦めれば楽になる」と言った特集をやっていましたね。なかなか直球なタイトルですが、これは大半の人の人生にとっては、事実ではないでしょうか。年代にもよるでしょうが、ある程度のサラリーマン人生を送り、世の中が見えてくると、実は自分は何者でもなかったんだ、何かの物語の主人公はなかったんだ、と気づき始めます。とは言え、周りを見渡せば、同期でも出世している奴もいれば、テレビの中では歳下の実業家が成功談を語っていたりします。

人生とは、度し難く、ままならないものですよね。 

 

自己実現を他人任せにすると危ない

何が「自己実現」であるのかは、人によって異なると思いますが、以前の私にとって、勤めている会社の中における出世は、重要な自己実現要素でした。

ブログの説明にも入れていますが、私は私を、落ちこぼれだと受け容れて生きています。「落ちこぼれ」の定義や程度は人によって違うでしょうから、一概に判断するのは難しいかもしれませんが、少なくとも相対的に見るとそうです。

私は現在の会社に12年ほど勤めていますが、圧倒的平社員です。同期の大半は、早ければ5年前には係長クラスに出世をし、恐らく、中には課長クラスに出世している人間もいます。当然、後輩上司が沢山います。同期の中には、精神を病んで1年間会社を休んでいたにも関わらず、4年も早く出世した人だっています。では、私は同期の中ではどのくらいの位置付けかと言えば、病欠で1年休み、かつ産休で1年休み、その後時短勤務をしている社員と同等です。コンプライアンスの話をしているのではありませんよ。


ではなぜ、私はこのような立場におかれているのでしょうか?

この国において、人事は水物なので、詳細に分析する事にはあまり意味がありません。ただ、私を知る諸先輩は、昔は「お前は一番に出世をする」と口を揃えて言い、今は「お前は入る会社を間違えた」と言います。外から見れば、当然、仕事ができないからこの立ち位置にいる訳で、後輩達からはバカにされながら生きています。

自分の人生における自己実現の裁量を、会社組織などの他人に委ねる事は非常に危険です。彼らは容易に裏切りますし、一度ドロップアウトすると立ち直れなくなります。自分の人生は、自分の手でグリップしましょうよ。

実は、現在の状況を抜け出す手としては、転職という方法もありました。実際、転職活動も一時期やっていましたし「いいよこいよ」と声をかけてくれる会社もいくつかありました。ですが、現在の置かれている条件下において、転職は非常にリスクの高い手段であるとの結論に現段階では至っています(その理由はおいおい書くかもしれません)。 

 

人生は諦めたくらいじゃ楽にはならない

じゃあ、今の自分の条件下で出来る自己実現の手段は何なのか。まあそれが、発明、ものづくりだった訳なんですが、ではなぜ、自己実現の為に発明したりものづくりをしたりするのが苦しいのか。それは、前提として自分が落ちこぼれである事を受け容れ、人生について散々再考したからです。私は、自分にも他人にも期待する事をやめました。私は、それを受け容れるのに、人生について諦める事に、実に3年を要しました。

 

ただの遊びだけでやっている訳ではないんです。死ぬ直前に「自分の人生に少しは誇りを持てる挑戦を自分はしてきたな」って満足したいんです(はい、これが私の「自己実現」の根底理念です)。

 

結論。
自分を落ちこぼれだと認めた時点で、人生は今まで以上に苦しくなりました。それは、人生という圧倒的ハードモードのゲームに於いて、残された可処分時間の中で、自分の力で自己実現をする必要があるからです。人生を諦める事は非常に苦しく、諦めた後も無期限の苦しみが続くんです。少なくとも、私の場合。

 

 

おまけ。
自分の中で、諦めがついてきた頃に作った楽曲です。11拍子。


【GUMIオリジナル曲】 諦観と達観のスキマにて 【11拍子・変拍子】

 

 

 

ではまた、変態発明ブログで会いましょう。
バイバイ!