変態的な物を企画して発明して作るブログ

落ちこぼれサラリーマンが、変態的アイデアの物を企画したり発明したり作ったりするブログです

「誰かが見てくれている」の嘘

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久々のこのカテゴリです。
書きたい事は色々あるのですが、このテーマで書くときは
色々と自分と向き合わなければならないので、結構しんどかったりします。

サラリーマンが大好きな「誰か見てくれているから」

勤め人生活を送っていると、誰もが1度は、上司等から言われる言葉では
ないでしょうか?

なかなか報われない時、毒にも薬にもならない作業を永遠としなければ
ならないとき。

今の自分の状況について、なかなか自分を納得させる事ができない
状況を見かねて、上司が肩を叩きながら言います。

「腐るな。安心しろ。誰かがちゃんと見てくれているから」

言われると、何となく救われた気分になるのではないでしょうか。
無駄な仕事に思えても、誰かが気づいてくれて、評価してくれる。

そんな淡い期待に、少しだけモチベーションを回復できたりします。
でも、「誰かが見てくれている」は本当でしょうか?

※この場合は「俺がちゃんと見ているから」が正解な気がしますね

 

2つの盲点

「見てくれている」には、2つの盲点があります。

①そもそも誰も「見ちゃいない」
②見てくれていたとしても「何もやっちゃくれない」

大体、どうですか?
電車の中で急に人が倒れた。
当然、多くの人が、その状況を見ていますよ。
でも、誰がその人を助けますか?

私は、東京時代、帰路の終電において、
人がバタリと倒れた瞬間を目の当たりにしました。
当然、周囲の人たちは見ていた筈です。
でも、誰も、本当に誰も、見て見ぬふりをしたのです。

私は背筋が凍りました。
急いで車掌を呼びに行ったのは、言うまでもありません。

人は、そもそも見ちゃいない。
そして、見ていたとしても、自分のメリットにもならない面倒な事には
何もしちゃくれませんよ。

結局「見てくれている」は根拠のない他人への甘えなんじゃないか、
って思いますね。


このブログでは何回か書いているのですが、

「誰か見てくれているから耐える」というのは、

自分の人生の自己実現を他人に委ねる事になるので、
リスキーです。

まだ、クラウドファンディングでもやって、
自分の人生に立ち向かった方が、建設的な気がします。

 

なぜ「お天道様が見ている」のか

昔の人は、理不尽な状況に陥った時
「お天道様」や「神様」が「見ている」と言います。

例えば、誰もいない路地裏。
辻斬りに追い詰められた町人が、死ぬ間際に言います。

「畜生! お前の悪事は、お天道様が見ているからな! 今にバチが当たるぞ」

そう。お天道様が見ていると信じる事ができれば、
理不尽な状況がなんとなく和らぐ感じがするのです。

これは裏を返せば「自分は理不尽な窮状に陥っている」という事に他ならず、
そして上司が言う「誰かが見ている」は、「お天道様が見ている」と
ビタ一文変わりないでしょう。

もし、本当に誰かが見てくれているのであれば、
幼児虐待で子供は死なないし、戦争なんかもきっと起きないですよ。


ここから更に展開したいところですが、
長くなるので、今回はここまでにします。

また近々、続きを書くかもしれません。
ではまた、変態発明ブログでお会いしましょう。
バイバイ。

 

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